あまりにもふつうのことだったから
中海は島根県と鳥取県に位置する汽水の湖です。
本庄工区と呼ばれる水域の干拓が予定されていましたが、2000年に中止になりました。以後、中海の富栄養化問題を解決し、かつて盛んだった漁業をどのように復活するかが議論されています。
この中海では、昭和30年頃までは海草のアマモが広範囲に繁茂していて、肥料用に採草されていました。
写真は採草風景です。
採草したアマモは、当時の主要作物だった綿花などに用いられ、肥料要求を満たす上で効果的だったそうです。
採草していたのは漁師ではなく農家でした。
その採草量は昭和23・24年当時で年間56250tもあり、アマモ採草によって、現在の中海に流入する負荷の5.3%と11%相当の窒素やリンが回収されていました。
中海だけでなく、浅い沿岸域には広大なアマモ場が広がっていたこと、そしてそれを肥料などに利用していたこと。
たった50数年前には当たり前だったことを、今の私たちはすっかり忘れています。そして、植物と言えば赤潮を引き起こすこともある植物プランクトン(水面付近を漂う顕微鏡サイズの植物)しか考えないで、植物を食べる動物の一種である魚介類をどう復活させるかを考えてしまいます。
でも当時の海は、今の海とは全然違っていたのです。
今、私たちがしなければならないことは、日本の海があまりにも急速に変化してしまった以前は本当はどんな姿だったのか、地道に追い求めることではないでしょうか。